「ファンモン」「BoA」「ケツメイシ」累計CD 2,000万枚のヒットメイカー・YANAGIMANの創作秘話&音楽ヒストリーインタビュー

2月某日、数々のヒットソングを手掛ける音楽家・YANAGIMANに直撃インタビューをした。自身が都内に持つスタジオで新作制作の途中だったYANAGIMAN。
作業に手を止め、3時間に渡るインタビューに答えてくれた。今までの音楽のルーツ、生い立ちから今までの苦労話、曲を作るときのヒントや参考にしている作品など、余すところなく答えてくれた。
今回のインタビューで初めて公開することも多く、これから音楽の世界の門をたたく若い人には多くの財産になること間違いない内容となった。

■□■ 音楽のルーツ □■□

インタビュアー 「では早速、YANAGIMANさん、質問です。今回の記事に見出しをつけるとしたら何にしますか」
YANAGIMAN 「『音楽は人をつなげる。人は音楽をつなげる』ですかね。この言葉、すごく気に入っていて。英語でいうと『Music connects people, People connect music』」
インタビュアー 「その言葉のルーツは何になりますか?」
YANAGIMAN 「奄美大島、石垣島で自分は作られたといっても過言ではなく。今のネット時代と違って50年前ってテレビ中心の時代で、テレビが王様でした。当時わたしが8才のときテレビの中で流れていた森永製菓のCM「エールチョコレート」の『大きいことはいいことだ!!』という世界に憧れたんですよね。今でもそのCMが夢に出るぐらいインパクトあって、ただ良い曲を作るということじゃなく、曲で人と人がつながって、みんな仲良くなって、大きな輪になって、平和になっていく!そんな世界観が大好きで」
インタビュアー 「奄美大島に生まれたことも音作りに影響してますか」
YANAGIMAN 「1960年11月9日に奄美大島に生まれました。父は奄美大島出身、母は石垣島出身で共に三線(さんしん)の先生してまして。うちは10才上の長男、8才上の長女、5才下の次男で。生まれてすぐカチャーシーに合わせて踊る家族で。身近に音楽が同居してまして。今でも沖縄の人は宴席の最後に三線のリズムにあわせて、みんな自然と踊り出すのが当たり前で。喜納昌吉さんの沖縄の代表曲『ハイサイおじさん』『花〜すべての人の心に花を〜』は音楽作りに影響を受けてますね。あと父は鹿児島県屋久島警察署の署長をしてまして。むかしから職業柄、転勤族で2年に1度引っ越ししてました。父はとても真面目な性格で柔道2段、剣道2段の持ち主。ノンキャリアあがりの人の苦労人で、悪いことするといつもボコボコにされまして(笑)。10才の小学校3年生のとき近所にレコード店がありまして。初めてサイモン&ガーファンクルのレコードを買いました。小学生4年生のときお年玉でカセットレコーダーを2台買いまして。自分の声をふきこんで2台で多重録音して喜んでいる小学生でした。そういう意味では音楽作りに必要な環境は整っていたんでしょうね。反面教師の父への反発、愛されたいという感情など。その後、中学生に入って初めて楽器を始めまして。アコースティックギター、ベースと。当時フォークソング時代でしたので井上陽水さんの曲からマネて演奏してましたね」

サブ1

■□■ 交友関係・趣味 □■□

インタビュアー 「今お付き合いしている交友関係を教えてください」
YANAGIMAN 「ザ・ドリフターズの高木ブーさん、サザンオールスターズの関口和之さん。この2人はウクレレつながりですね。ウクレレをはじめて10年以上がたつのですが今ではウクレレオールスターズのバンマスとしてブーさん、関口さんとステージに立つこともあります。あとはケツメイシ、FUNKY MONKEY BABYS。もともとケツメイシのメンバーRyoと大蔵は薬学部出身で私も薬学部(熊本大学)なんです。それで話が合いましてね。2人は東京薬科大学を卒業して薬剤師の資格を取得したんですよね。ちなみに熊本大学では2つ上の先輩のジャズ研究会に女優の宮崎美子さん、1つ下の後輩のフォーク研究会に女優の斉藤慶子さん、同学年にジャズ研究会の現在、熊本放送アナウンサーの福島絵美さんがいました」
インタビュアー 「素敵な交友関係ですね。それと趣味を教えていただけますか」
YANAGIMAN 「犬が大好きで現在、ミニチュア・ダックスフンドを2匹飼っております。あと趣味というかベース、ギター、ピアノ演奏ですね」

サブ2

■□■ 今まで手掛けた作品・アーティスト □■□

インタビュアー 「改めて今まで担当してきたアーティストさんのお名前を教えてもらってよいですか?」
YANAGIMAN 「え~と。ケツメイシ、FUNKY MONKEY BABYS、CHEMISTRY、Crystal Kay、倖田來未、中島美嘉、加藤ミリヤ、エレファントカシマシ、BoA、Def Tech、平原綾香。楽曲提供、編曲、プロデュースを行ってきました。あとビルボードシーンで活躍中のUsherのリミックスや、香港歌手IVANWANG、HotCha、Ella Koonとか海外のアーティストにも楽曲提供をしております」
インタビュアー 「そうそうたるお名前ですね。その中でも受賞歴というとどんな作品があるんでしょうか」
YANAGIMAN 「2007年にBoA『LOVE LETTER』でレコード大賞金賞。2011年にFUNKY MONKEY BABYS『それでも信じてる』でレコード大賞優秀作品賞を受賞」
インタビュアー 「お~!確か2013年までに関わってきた作品の累積出荷枚数が2,000万枚以上に達しているんですよね。あと2019年、カンボジアの孤児院への寄付を熱望したYANAGIMANさんが呼び掛けて、その趣旨に賛同してくれた島谷ひとみさんが新譜を書き下ろして、2万人強のパシフィコ横浜で新曲『サイクル』を披露しましたよね。実際見に行かせてもらって、とても感動しました」
YANAGIMAN 「ありがとうございます!」
インタビュアー 「他に主な代表作品をあげてもらっていいですか」
YANAGIMAN 「FUNKY MONKEY BABYS『ありがとう』、BoA『make a secret』『DO THE MOTION』、ケツメイシ『バラード』『さくら』『トモダチ』『夏の思い出』『涙』、中島美嘉『素直なまま』、倖田來未『Lies』、CHEMISTRY『FLOATIN’』『愛しすぎて』『STILL ECHO』、ゴスペラーズ『1,2,3 for 5』『くれないの街』『見つめられない』『愛のシューティングスター』、エレファントカシマシ『俺たちの明日』『大地のシンフォニー』『starting over』『まぬけなJohnny』『FLYER』、mihimaru GT『One Time』『オメデトウ』、加藤ミリヤ『勇者たち』、NEWS『なんとかなるさ』、Crystal Kay『Motherland』、Skoop On Somebody『遠くても 遠くても』『Sing a Song』、Tiara『Love is… with KG』『さよならをキミに…feat.Spontania』『キミがおしえてくれた事feat.SEAMO』『ヒカリ』といったところですかね」

サブ3

■□■ 曲づくりでインスパイヤーする10曲 □■□

インタビュアー 「曲作りでこの曲を聞くとインスパイヤーする曲ってありますか?」
YANAGIMAN 「あります!あります!映画『グレイテスト・ショーマン』は100回以上見てますし、映像と音楽がマッチしていて、こういうショーをやりたいなあと思ってみてます。すごく想像力をかきたたせますね。あと昭和のサウンド、ディスコサウンドが好きで、アース・ウィンド & ファイアー『宇宙のファンタジー』『セプテンバー』とか。あと自然音ってとても大切にしていて、自然音から想像をかきたたせるものってあるんですよね。イントロで雑踏、風の音があるだけで曲のイメージが変わると思ってまして。ユーミンやサザンとかよく使っていて。あと『UFO』『異邦人』好きですし、『津軽海峡冬景色』の冬の寒い感じも好きです」
インタビュアー 「ベスト10にしてもらっていいですか」
YANAGIMAN 「ベスト10にすると・・・以下になりますね」
【1位】 Earth, Wind & Fire
【2位】 グレイテスト・ショーマン
【3位】 パイレーツ・オブ・カリビアン
【4位】 ミッション:インポッシブル
【5位】 ハリー・ポッター
【6位】 サザンオールスターズ
【7位】 松任谷由実
【8位】 ライオン・キング
【9位】 バックストリート・ボーイズ
【10位】 ジェイ・Z / リンキン・パーク
【番外】 効果音集・自然音

サブ4

■□■ YANAGIMANヒストリー □■□

インタビュアー 「改めてYANAGIMANさんの略歴、ヒストリーを年表方式で教えてもらってよいですか?」
YANAGIMAN 「なかなかこんな機会ありませんが・・・こんな感じですかね?」
・1973年、屋久島町立 安房小学校 卒業
・1976年、鹿児島市立谷山中学校 卒業
・1979年、鹿児島県立鶴丸高等学校 卒業
・1983年、熊本大学薬学部 入学
・1982年、熊本大学4年で中退した。東京に住居を移転して老舗ジャズ・クラブ「新宿ピット・イン」でコントラバス演奏家として働く。22才から25才まで東京のジャズミュージションとセッションしながら音楽の技術を磨いた
・1988年、東京に上京したとき近所にたまたま熊本大学の1個上でOLをしていた先輩(のちの奥さん)と会い、次のライブを見てきてと誘う。翌年1989年に結婚した
・1989年にアメリカに渡る。マサチューセッツ州ボストンのバークリー音楽大学へ学費免除の特待生として入学。妻を連れてアメリカに移住。日本食レストランが白人にウケていて身銭は良かった。当時の学友仲間としてジャズピアニスト・南博とセッションした
・1992年帰国。福岡県に移住。テレビでレポーターなどを務める。デイト・オブ・バースのレコーディングとツアーに参加
・1994年、子供(長男)を授かる
・1995年、35才のときに『サウンド&レコーディング・マガジン』主催のコンテストで優勝
・1997年:濱洋一とYANAGIMANによる “Funky Face” が AXIA テープコンテストでグランプリを受賞したのをきっかけに活動の拠点を東京に移す。アーティストからアーティストへの紹介で、いろいろな仕事が入ってくるようになり、Soul loversのプロデュース、アレンジを始める。その後、Soul loversのMahyaの紹介でケツメイシと知り合い、作品を作り始める。ケツメイシのヒップホップ系の楽曲を手がけてヒットしたが、もともとは普通のポップスなどしかやっておらず、レゲエやヒップホップは得意なジャンルではなく新ジャンル開拓のために、かなり勉強した

■□■ 最後に □■□

インタビュアー 「長時間のインタビューにお付き合い頂きありがとうございました。最後に告知や伝えたいことありましたら」
YANAGIMAN 「いえいえ、とても楽しかったですよ。なかなか人に聞かれない限り、自分のことを話したり、まとめたりすることありませんからね。え~と、伝えたいこと。最初に戻りますが、『音楽は人をつなげる。人は音楽をつなげる~Music connects people, People connect music』ですね。私の作る曲を通してみんな、世界の人たちがHAPPYに楽しく平和に笑って暮らしてほしいなあと。私が生まれた奄美大島みたいに。それと新しい時代のこどもの歌を目指して、保育園の先生とコラボしまして子供が1日中歌える歌を集めました『サンキュー!ハピハピソング!』を作りました。是非注目してください」
インタビュアー 「ありがとございました。『サンキュー!ハピハピソング!』必聴ですね」

▽YANAGIMANプロデュース

自己肯定感+自主性+感性を高めるCD(全20曲)
『サンキュー!ハピハピソング!』
https://39hapihapi.com/

(文・構成・撮影/金子正男)

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